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【台湾】NHKスペシャルの偏向報道を許さないOFF 6

501 :エージェント・774:2009/05/27(水) 22:43:57 ID:sJ6f/iFK

三 原告 黄阿桃

1 連行まで

 原告黄は、一九二三年二月六日台湾省桃園県の観音郷で生まれ
る。家は貧しく生後すぐに他家に養子にだされるが、七歳か八歳
のころ両親が再び引き取り、家で炊事・洗濯や弟妹の面倒をみて
暮らす。学校にはいけず、読み書きは出来なかった。一八歳のと
き家をでて、台北市の写真館に住込みで勤め、炊事の仕事(当時
の言葉で飯炊き)をしていた。

2 連行時の状況

 一九四三年、原告黄が二〇歳になったとき、住込み先の写真館
のすぐ近くの旅館の前に「南洋で看護婦として働きたい人は申し
込んで下さい」との貼紙があった。桃園出身の友達aがこれを読
んで教えてくれた。友達は既に申し込んでいて、一緒にいかない
かと進められた。しかし、原告黄は読み書きも出来ないため躊躇
していたが、受付で話を聞くと、炊事でもいいからといわれ、ま
た六カ月で帰れるということでもあったので、これに応募するこ
ととした。貼紙のあった旅館で受け付けもやっており、「KAK
I」という男性と四〇歳位の女性(ともに日本人)がいた。何日
何時その旅館に集まれと指示され、且つ戸籍謄本をもってくるよ
うに言われた。丁度旧歴の正月であったので、一旦実家に帰り、
母親にはその旨を話した。正月明けに集まり、他の女性達も含め
高雄に集合した。一緒にいった女性の中ではaとb(基隆出身)
が知り合いであった。全部で二三名位の女性がいた。ずっと、前
述の「KAKI」と四〇歳位の女性が現地まで一緒だった。高雄
から「浅間丸」という大きな船にのせられ、まずマカッサルに到
着し、ここに一週間位いた後、別の船に乗り換え再びバリクパパ
ンまでいった。上陸後トラックで一時間位の山中の航空隊の基地
に連れていかれた。上陸して一週間位の中に爆撃があり、女性二
名が死亡し原告黄も怪我をした。この時の怪我がもとで片方の目
が失明した。

3 「慰安所」での状況

 現地は、基地の外側に椰子の葉で作った建物があった。弾薬の
空箱を使って床を張りその上に軍用の毛布を敷いてあった。中は
二〇数部屋あり、一人一室が割り当てられた。建物のまわりに囲
いは無かったが、周りは山ばかりの地であった。到着して数日後、
建物の管理人(一組の日本人夫婦)が女性を集合させ、「軍人の
慰安をしろ」といった。初めて性的行為をさせられることを知っ
て、女性らはこの管理人に殴りかかったが、「看護婦はそんなに
大勢必要ないから、お前達は軍人の慰安をしにいけ」と言うのみ
であった。原告黄は震えが止まらず手は氷のように冷たくなった
が、応じるしかなかった。山の中であり、帰る船も沈めるとまで
言われ絶望的な気持ちであった。最初のとき、原告黄の札を買っ
たという軍人がきて原告黄の名前を呼んだ。原告黄が拒否すると、
「お前がここにきたのは軍人を慰安する事なんだ、同意しない事
などできるものか」と言われ、どうせ死ぬしか無いのならとの想
いで泣く泣く応じざるをえなかった。原告黄はこの時が初めての
性行為であった。


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