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戦前の茨城県に東京を結ぶ大私鉄が誕生していたら

1 :回想774列車:2009/12/26(土) 23:17:25 ID:bpQkg87M
茨城県の私鉄は、沿線の小資本を糾合した常磐線の培養線しか形成されなかった。
結果として常磐線のサービス水準の低さ、混雑の激しさといった問題はTX開業まで解決できなかった。


しかしもしも、明治〜昭和初期に東京から茨城県を結ぶ大私鉄が出現していたらどうなっていただろう。

想定されるルートは東京〜八潮〜守谷〜つくば〜石岡〜水戸〜日立〜常磐炭田炭鉱地域
あるいは常磐線の東側を通る東京〜松戸〜印西〜竜ヶ崎〜鉾田〜大洗〜水戸もあり得たか?
筑波鉄道や鹿島鉄道に相当する路線が現存し、東京直通急行が走っていた可能性
東京側のターミナル、相互直通運転などいろいろな想定を書き込んでみよう。

2 :回想774列車:2009/12/26(土) 23:42:20 ID:qY/mcBSw
東武・京成の現在の勢力図(新京成線も含む)が、相当 変わっていたな。
或るいは、そのどちらかと 1つ勢力構成していたな。

観測所の兼ね合いで、電気運転の区間が制約を受けどのようにな運転形態(列車形の大手民鉄)
が築かれていあだろうか?

3 :回想774列車:2009/12/27(日) 07:12:05 ID:OHHOqOjT
観測所が開設される前に直流電化してしまえば桶。

4 :回想774列車:2009/12/27(日) 08:34:02 ID:pU0+99Da
観測所が赤坂から現在地に移転したの大正2年だぞ

5 :回想774列車:2009/12/27(日) 11:22:06 ID:7uDWJFoc
後に関東鉄道、茨城交通を構成した各路線も、後年迄残れたかどうかは?解らないが
この路線が接着剤になり大手に組み込まれていた可能性が高いな。

6 :回想774列車:2009/12/29(火) 20:13:25 ID:znoutX4m
そういえば、戦前にも東京〜筑波を結ぶ鉄道構想があったと聞いたが?

7 :回想774列車:2009/12/30(水) 08:45:06 ID:AemMlrVz
非電化のまま独自の進化をとげたかも。
一方で平坦線であり、常磐炭田の石炭輸送に耐えられる軸重制限になったと仮定すると、
東京側の30Kmは電車化されただろうが、長距離列車はF級DL牽引の客レ、県内ローカル普通はDCだったのだろうか?

電化区間と非電化区間で沿線風景にも大きな落差ができそうだな。

8 :回想774列車:2009/12/30(水) 10:50:30 ID:bopIIV/m
常磐炭田はともかく、
取手と水戸の間は新規に鉄道敷いて需要があるほど
人口なかったんじゃないかな...
土浦くらい?

石岡とか玉造とかそれなりに歴史のある町はあるものの...

しかし水戸の凋落はもったいないね
茨城は歴史的に古代から重要な地点だったのに
もっと鉄道が発展していれば今よりは...

9 :回想774列車:2009/12/30(水) 15:14:43 ID:/1vGrlYH
>>6
その免許を活用して、京成上野駅への路線は出来ている。

10 :回想774列車:2010/01/01(金) 00:39:58 ID:KBy1WPIJ
>>1
その頃は首都圏の概念すらないし、東京市すら大阪市よりチンケな都市なのに茨城の片田舎を結ぶ大私鉄なんて作れるわけが無い。
サッサと終了して、そのような妄想はチラシの裏にでも書きなさい。

11 :回想774列車:2010/01/01(金) 02:23:43 ID:18ScMUwh
妄想を叩くのは簡単だ。実際存在しないのだから。

しかし叩く根拠が貧弱だと、単に憂さ晴らしのために苛めのターゲットを探しているようにしか見えない。惜しかったな。
道路が貧弱な当時、そのチンケな都市を結ぶ片田舎の鉄道があちこちに作られているし、いま現実に存在する大私鉄にも当時は首都圏の概念は無関係だ。概念が無いのだから当たり前だな。
せめて利根川架橋の問題ぐらい書いて賢そうなところを見せてくれよな。他人を罵倒するには阿呆すぎ。そんなに手軽に八つ当たりされては面白くない。





12 :回想774列車:2010/01/01(金) 07:28:54 ID:mgU/hi2U
>>11 尊敬。
馬鹿の挑発に乗らず、大人の言葉で反論。

そうだよね。 都市集中なんて無かったし、車も道路も一般普及、整備されてないんだから・・・

13 :回想774列車:2010/01/01(金) 11:33:43 ID:jFEXt5GV
まあまあ餅つけ(正月らしいな)

10氏は場を盛り上げるためにあえて憎まれ役を買って出たのだろう。
どのスレにも必ず登場する輩だわなww

14 :回想774列車:2010/01/01(金) 21:13:00 ID:ZEGaP38G
当時の水戸の重要度は今とは比較にならないくらい高かったんじゃなかったっけ?
当時作ってればとはつくづく思うね。

15 :回想774列車:2010/01/02(土) 04:42:01 ID:Nb0SWlL6
日立が事業者になっていたと思われ

16 :回想774列車:2010/01/03(日) 14:38:28 ID:T5iNb4pY
仮想鉄道成立の条件をいろいろ考えてみた。長いぞ。

まず日本鉄道土浦線のルートを大幅に北寄りに移動させる。
具体的には開業済みの水戸線との分岐点を小山寄りにして筑波山の北側を回るルートにさせる。
現常総線のルートを水街道あたりまで経由して草加市から北千住へ向かわせる。
下流は利根川の川幅が広すぎとか低湿地帯を避けたとか理屈をつける。

そうなると現常磐線のルートが開く。(www)

次に成田鉄道の歴史を大幅に書き替える。我孫子から現常磐線ルートで東京進出させ、適当な位置にターミナルを設ける。
東武の隣でもどこでもいい。
国に買収されず、利根川を渡り、電化する。

どうだ。電鉄で水戸まで行けるぞ。

常磐線のルートが最適杉で平行線が割り込む余地がないんだよな。だから常磐線を移動させてみた。(気軽に言うなw



17 :回想774列車:2010/01/07(木) 22:43:14 ID:w8Xy/4nN
>>16 いや、俺も思ったよ。
だから、常磐線の独占でパンクするまで、ライバル(TX)が生まれる余地がなかったし、
日比谷線も公然と南千住ー北千住と平行したのでは、?
千代田線だって、ただの途中駅だった綾瀬を境界駅にしないで、
東上線と有楽町線みたいに、要の駅となる松戸位迄 営団にするべきだったよな。
・・・それを、させない処(沿線民に不利益が発生する事が想定できるのに・・・)
当時の国鉄の糞な体質が如実に露呈してる訳だが。

18 :回想774列車:2010/01/09(土) 13:09:44 ID:7LYZu4sO
総武流山電鉄が延長線を両側に計画したり、東武野田線になっている当時の総武鉄道が直接、東京と結ぶ路線を妄想したりすると違う展開ができないだろうか。

19 :回想774列車:2010/01/09(土) 19:15:27 ID:MI2AnOHY
総武鉄道が、東武の軍門に堕ちなければ、どうなっていたかな?
京成・東武以外に東京の東にもう1つ勢力を築いて、流山や新京成に触手を伸ばしていたかな?

それとも、山手線至近のターミナルを構えられないハンデで、京成や西武の軍門
それとも、相鉄みたいに独立を保てても、この三社何処がしかの影響力を少なからず受けた微妙な立場の私鉄かな?

20 :回想774列車:2010/01/09(土) 20:07:09 ID:WNVmANzL
総武鉄道は何で春日部へ向かっちゃったのかね。利根川を越えて下館に向かえば・・・。

常磐線を動かさないものとして考えてみた。
取手と柏、我孫子の間で水運衰退後の商圏争いが勃発、常総鉄道が守谷から利根川を越えて我孫子までのルートで完成してしまう。
一方で北総鉄道も我孫子を北の終点に選び、ここに成田、常総、北総の三鉄道が常磐線を挟んで対峙するという一台結節点が誕生する。

てのはどうだ。東京ターミナルが思い浮かばねえ。水戸までたどりつけねえ。

地磁気観測所も遠方へぶっ飛ばさないと電鉄って無理じゃね?




21 :回想774列車:2010/01/10(日) 23:21:21 ID:Bqri8eBF
武蔵野鉄道と旧西武鉄道の関係が東武と総武鉄道にあったとする
この場合春日部を所沢とみて、、総武鉄道は別ルートで都内への延伸線を建設
野田南方で分岐、古い町だが鉄道がなかった流山を経由し(田無相当)と見て都内へ

山手線まで到達が至上命題になるので日暮里まで一気に開通(高田馬場相当)
ただし都内は曲線だらけ(高田馬場〜鷺ノ宮相当)んで、後日上野へ延伸(西武新宿相当)
逆側は、野田から延伸計画があるものの岩井まで延ばしただけて放置(西武園)

水戸は無理だな。方向も違うし

22 :回想774列車:2010/01/11(月) 04:04:11 ID:uO5z4jFy
>>21 流山鉄道は、その場合どういう去就?
開業前?買収、合併?免許のみの時点とかで合併?
京成+帝釈人車みたいにナローの時点で合併で殆ど継承せず?

23 :回想774列車:2010/01/12(火) 03:36:49 ID:x8qwuvgn
利根川の流れを変えてみる

とか

醤油の生産地を変える

とか

醤油の存在そのものを疑ってみる。
日本地図を疑ってみる。
筑波山を2000m級の山脈にするor箱根並みの外輪山を与えて観光地にしてやる。

とかしないと水戸まで届かないな、これは!


24 :回想774列車:2010/01/12(火) 07:00:11 ID:AARe6UH8
霞ヶ浦も埋め立てれば自由度が高まる。 笑

25 :回想774列車:2010/01/12(火) 09:33:03 ID:V+pJX8R6
霞ケ浦は茨城の貴重な水源だから埋め立て等は不可能

26 :回想774列車:2010/01/12(火) 13:40:39 ID:eBqbWhB8
>>21-22

東武が総武に対抗して流山鉄道を建設(多摩湖鉄道)
戦後東武と総武が合併、流山からの引込線を使用して>>21
接続(ブリヂストンへの貨物線を使用した萩山〜小川に相当)、
戦前に豊四季〜柏飛行場への専用線が存在していたとして
これに接続(上水線)、高度成長期に守谷に延伸(拝島線)。

茨城県に入ったぞ。

西武の小平〜東村山あたりの路線網が
東武で流山付近でも出現することに。武蔵野線も絡むし似せてみた。

27 :回想774列車:2010/01/12(火) 22:37:19 ID:aqEqhfRR
東京を基点としている私鉄の形成過程を見ると

1)明治〜大正初期の非電化鉄道がベースになっているのが東武伊勢崎、東武東上、西武池袋の3路線
2)明治〜大正初期の電気軌道がベースになっているのが、京急、京王、京成
3)大正末〜昭和初期の電気鉄道がベースになっているのが小田急、東急各線、京王井の頭
1)と3)の変形が西武新宿、 

で、茨城方面において
1)を期待するには、それなりに大きな都邑を結ぶことが必要になるけれど、
明治期の東武伊勢崎線にならえば、養蚕で財力を蓄えた両毛都市郡のようながあるわけでもなく・・・。
大正期の武蔵野鉄道にならえば、飯能クラスのもっと小さい都市でもいいことになるが、
この方面には、利根川(鬼怒川)、江戸川の架橋という問題が。
まあ、それらを乗り越えて、せいぜい全長50km、千住あたりから流山から野田、水海道を経て下妻に至る鉄道くらいだろうなあ。

で、2)は街道沿いの電気軌道ということになるが、水戸街道に沿いには、そんなに人口があるわけでもないし。
そして、3)は、比較的短距離の都市近郊電鉄が主体となるから、茨城までに達することはないだろう。
唯一、小田急みたいに社長の投機目的?か何かで大電鉄を敷いてしまった例はあるけれど、
それを茨城方面に展開するためには、地磁気観測所が問題になるのは史実の通り。



28 :回想774列車:2010/01/13(水) 02:47:20 ID:WcNeiw3Y
大正時代の半ば、東武鉄道は一層の雄飛のためにいくつかの計画を立てていた。

1、日光線。葛生から日光までの延伸。
2、足尾線。鉱山町へ直接アプローチする。
3、前橋線。伊勢崎から北へ、前橋を経由して伊香保温泉へ。
4、日立線。春日部から分岐して水戸を経由して日立まで。

2と3については実現しなかったが、日光線の開通後に着手されたのが日立線であった。その具体的な路線は以下のとおり。
春日部より東北方向へ分岐し、下妻で常総鉄道線をオーバークロス、加波山を東武としては初の本格的なトンネルによに貫通する。
笠間で水戸線に接続、東武水戸駅は市街地の北側、水戸商工付近とする。
那珂川をわたり勝田駅の北方で常磐線を越えるものの、太平洋を望む場所はない。
大甕駅で常磐線に接続。東武日立駅は日立の市役所付近となった。

全線複線であり、日光線以上の高速志向の路線であった。
東武浅草から東武日立まで営業キロおよそ140キロメートル。
デハ4型に急勾配を走破する能力を与えた系列が登場し、その総計は150両を超えて当時の私鉄界最大のグループとなった。
全線を二時間で走破したと言われる。


29 :回想774列車:2010/01/13(水) 21:03:37 ID:kpWS6b8D
東武日立線の開通と前後して、以下の路線が東武鉄道により買収、吸収合併されている。

常陸太田線 2010年現在も営業中。すでに太田線があるために旧国名が冠された。毎時二本の全列車が東武日立駅まで乗り入れる。
茨城線 現在も営業中。東武日立-御前山間。かつては非電化路線であったが戦後すぐに電化された。常磐線へ接続する区間は廃線となっている。
湊線 関係会社に譲渡され、現在もなんとか営業中。孤立した非電化区間で、東武直営時代の1954年に4両の気動車により近代化された。
水戸軌道線 1969年に廃線となった。市内区間は東武水戸駅と国鉄水戸駅を結んで利用客も多かった。
日光軌道線と平行して近代化の努力が払われ類似デザインの新造車16両が投入されており、廃線を惜しむ声は多い。廃線後電車は仙台市へ譲渡された。

筑波線、常総線は関東鉄道となっており、資本関係は無い。

常磐線が非電化の時代は東京から日立、水戸への輸送に圧倒的なシェアを誇っていたが、電化後の485系<L特急ひたち>の登場で様相は一変した。
日光線と異なりビジネス需要が多いため東京側ターミナルの立地条件の悪さが祟り、東武のシェアは急速に喰われて行った。
しかも国鉄は上野駅から日立駅まで100分程度と、到達時間においても圧倒的な優勢にあった。勝負にならなかった。
東武は伊勢崎線の<りょうもう>と同クラスの急行列車<つくば>を投入。低廉な運賃でアッピールする他はなかった。
スピードアップの努力にも関わらず浅草から東武日立までは120分余を要していた。

貨物営業は東武としては振るわなかった。日立付近の小運転と筑波山麓からの石材輸送が見られる程度である。

2010年現在、所要時間においてJR東日本との差は年々広がっている始末であり、運行本数から見ても事実上東武は白旗を上げたような状況にある。
というわけで東武内でも存在感の薄い路線であり、鉄道ファンであるあなたが知らなかったとしても無理はない。
東京側は都市圏の拡大を受けて通勤路線の性格を強めており、下妻までは地下鉄直通の十両編成が入線するようになった。
しかしそこから先は普通列車はピーク時で四連、日中は二両編成(毎時二本)で充分であり、かろうじて毎時一本が残された特急列車も四連化(350系)されたことを考え合わせると、
期待された幹線もいまや完全にローカル線だといえる。水戸市内では東京まで電車で行くのに東武を使うと言うと変人扱いされるという、宇都宮と同じ現象が起きている。


30 :回想774列車:2010/01/13(水) 21:12:59 ID:qhWHjFmY
戦前、土浦から阿見までの鉄道があった。

31 :回想774列車:2010/01/14(木) 20:27:50 ID:c47JwsJb
利根川を越えられない。
利根川の舟運に勝てない。

32 :回想774列車:2010/01/16(土) 23:44:50 ID:UNgDvKmI
成田山へのルートを拓いた成田鉄道の次なる野望は、鹿島神宮であった。
慎重論も一部にあったため、鹿島への進出に賛同する主だった株主たちは新会社を設立した。
そして鉄路は利根川を越え、北浦をも越え、鹿島神宮に達した。橋梁建設の工費は莫大であったが、収入もまた大きかった。
これに目をつけたのが京成である。成田鉄道は国家買収を受けることなく京成の翼下に入り、やがて合併となった。
成田から鹿島神宮までの間は1372mmの電気鉄道へと改築された。
一方で我孫子成田佐倉間は1067mm非電化で設備投資もなく放置された。この非電化線は後に国に戦時買収された。

水戸からも鹿島神宮へ南下するルートも拓かれようとしていた。
水戸市内で路面電車を経営する水浜電車は、湊線や茨城線などには一切目もくれなかった。
大洗からさらに延長して鉾田を目指す工事に着手。北浦の水運と接続をとって一応の目的を果たした。

同時期に開業した鹿島参宮鉄道は、東京水戸の双方からショートカットされ肝心の鹿島連絡は不振を極めた。

北浦の水運は大繁盛していた。しかし水深が浅く蒸気船を入れられない。これに地元資本が目をつけ、経営絶好調の水浜電車を抱き込んだ。
水浜電車は鉾田からさらに南下を開始、ついに鹿島神宮に達する。京成鹿島駅とは数キロ離れた位置にあり、接続はなかった。
当時でもここで京成線に乗り換えて東京までという発想は難しかったからである。

さて、戦時に入り、鹿島灘は敵の上陸が予想されるという事になった。
軍は(中略)色々あって(中略)(そこが肝心だろ)
京成電鉄は茨城交通を翼下に入れた。(何があった!?

そこに台風が!水浜線は壊滅的な打撃を受けた。復旧に辺り1372mmに改軌して以下略
押上から水戸まで実に四時間余を要したと言う。誰が言ったか1372mmの駿遠線。三角形の二辺を通るルートであった。

やったー!水戸まで京成が届いたぞ!
成田空港の燃料輸送は1372mmのタンク車を牽く東芝製箱型電機の重連かな。

33 :回想774列車:2010/01/17(日) 00:41:29 ID:+i9jFsbr
茨城は茨城のままでいいんだよ

34 :回想774列車:2010/01/17(日) 16:28:46 ID:TNjh5J1q
筑波高速度電気鉄道が実現していたらどうだったろね。流山、守谷を通るあたりはTXとほぼ同じだが、筑波山まで行く計画だったらしいからね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E9%AB%98%E9%80%9F%E5%BA%A6%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93

余談だけど、昔の武州鉄道が今の埼玉高速鉄道延伸計画とダブっている、というのと似通った話だね。



35 :回想774列車:2010/01/17(日) 16:51:35 ID:B/l/5VA6
>>34
埼京線に近いのルートを予定していたのが東京大宮電気鉄道
日暮里・舎人に近いルートを予定していたのが北武電気鉄道
都営新宿・北千葉線・北総鉄道・柴山鉄道を繋げたようなルートを予定していたのが東京成田芝山電気鉄道

どこもかしこも計画だけがあったのだよ。




36 :回想774列車:2010/01/17(日) 17:29:07 ID:jCpfOczS
三戸時代までは茨城のほうが他の関東より栄えていたんだよ
水戸時代が終わってから茨城より他の関東が栄え始めた
電気があるのは茨城の御蔭なんだよ
今お前から生きてる、暮らしてる、楽しめるのは茨城の御蔭なんだよ

37 :回想774列車:2010/01/21(木) 00:27:20 ID:xbz4mJvO
>>36
2行目と3行目がつながってません
だよだよ

38 :回想774列車:2010/01/31(日) 09:11:30 ID:FdbMfUph
水戸と日立を結ぶ電車を中心とした、広島と双璧の路面電車王国。
昭和40年代以降のモータリゼーションの波も東京モノレールと並ぶ
日立製作所の実験線の意味もあり乗り切る。

御前山〜水戸市内〜勝田〜大甕〜鮎川〜日立本山の本線を軸に
赤塚〜大学前 水戸〜大洗〜那珂湊 勝田〜那珂湊〜阿字ヶ浦
大甕〜常北大田の各支線と本線は相互に直通運転。

東京が遠すぎ


39 :回想774列車:2010/02/02(火) 21:27:12 ID:9OsRyMYe
日本鉄道がモタモタしているうちに明治中期(地磁気観測所の柿岡移転前)に私鉄で東京〜水戸間に水戸の有力者などの資本で現常磐線より少し西側に電車型私鉄の「茨城電気軌道」が成立。
東京側のターミナルは三ノ輪に設けられる。

日露戦争を契機に、軍用列車の運行に適した平坦な常磐ルートの重要性が認識され、生産が拡大する常磐炭田から
東京への石炭輸送の必要性もあって、この区間に官鉄が必要と認識される。

しかし標準軌・貧弱な軸重の規格ゆえ、国はこの私鉄の国有化を断念して独自に官鉄線を建設。
東京と常磐炭田さらに東北方面への連絡を第一義に考えて、あえて茨城電軌との並行ルートが選択される。
以後官鉄常磐線は長距離輸送と貨物輸送重視、茨城電軌は地域輸送を重視のすみ分けの構図が成立する。

茨城電軌は大正末期に都内の併用軌道区間を解消するとともに、昭和初期に1500V昇圧。
また東京側でも路線をより都心深くに延伸しようとするも東京市と衝突。しかし三ノ輪ではあまりに中途半端ということで根岸(鶯谷駅東側)まで1940年頃に延伸。

戦後は、茨城急行(茨城電軌から解消)単独で都市内路線を建設することはできないため、地下鉄とドッキングすることで
都心を目指すことに。相手には反対側で同じ標準軌の京急と接続する構想のあった都営1号線が選ばれる。
ただし、史実と異なり浅草は通らず、日本橋以北はR4地下に建設され、根岸で茨城急行にドッキングする。

その後は京急の赤色の車両が茨城急行線を行き交うようになる。しかし常磐線は東北本線との地位逆転、常磐炭田の縮小による貨物輸送減が進むと
徐々に東京〜水戸間の都市間輸送も重視する方向になり茨城急行の優位は揺らぎ始める。
茨城急行も曲線改良、高速車両の導入で対抗する方向を打ち出し、同じく国鉄との競争にさらされていた京急と共同で
特急用のクロスシート車を開発するなどする。だが、平坦線の強みで常磐線が130km運転に踏み切ると
スピードでの勝負は難しくなり、速度面ではJR発足の頃に常磐線優位が確定。
だが茨城急行も長距離区間では特に割安な運賃や地下鉄直結の利便を活かし今日まで一進一退の攻防が行われている。

史実と異なり、私鉄とべったり並行する常磐線にも多数の特定運賃区間が設定され、30分間隔で
土浦まで通過運転を行う中電快速が走る。また料金不要の茨急特急に対抗するため
水戸以南の自由席特急料金を一律500円に抑えるなどの策を講じるなどしている。
茨城急行とJRの激しい競争のために高速バスはほとんど入り込む余地がない。

う〜んイメージとしては名古屋〜豊橋間に近いかも。

40 :回想774列車:2010/02/05(金) 22:27:19 ID:GGBiHn9E
>>39
路面電車発祥の私鉄幹線で100km以上の延長はちょっと苦しいのでは?
京成本線にしても、津田沼から東に伸びたのは高速鉄道化されてからだし。


41 :回想774列車:2010/02/09(火) 08:39:04 ID:JyI6mzw3
強盗慶太とピストル堤の筑波山戦争
箱根・伊豆と並びここでも観光開発に二人が相まみえた。

42 :回想774列車:2010/02/12(金) 11:31:00 ID:EBWnoYRu
>>41
そうするとケーブルカーとロープウェイは強盗慶太、筑波山スカイ
ラインはピストル堤が持つことになるのかな?


43 :回想774列車:2010/02/20(土) 14:38:30 ID:N5Dbhf1H
>>1-42
そうはいっても
大私鉄がなくて開発が遅れた茨城だからこそ
できること、できたことがあるだろ。
ええっと、つくばとかさ……

44 :回想774列車:2010/03/20(土) 00:47:02 ID:kwEcYuqW
逆に考えるんだ。日立電鉄(故)や鹿島鉄道(故)が、もし大私鉄だったらと・・

45 :回想774列車:2010/03/24(水) 03:25:13 ID:z2XUlkmn
つーか非電化時代に
すでに常総線と国鉄が相互乗り入れしていたことを忘れたか。
下館--取手間に国鉄蒸気が入線していたってことだよ。
これが続いていれば藤代のデッドセクションだけでなく
常総線寺原あたりにもデッドセクションだったかも。

46 :回想774列車:2010/03/28(日) 15:57:35 ID:40IgD3+p
大阪万博の代わりにつくば万博が実施され、同時にTXが整備されたという妄想をしたいな。
もちろん、つくば科学博は、その後実施されず、代わりにつくば花博は微妙だな。

47 :回想774列車:2010/04/16(金) 20:19:30 ID:vv0uRWEp
>>46
つくばに学園都市を建設することが決定されたのは1963年か。

1970年の万博をつくばで開催する理由はあったと思う。
その場合、史実より早く、TX沿線は発展し、バブル期に大々的な開発がなされて人口も急増。

結果としてTXはスピードよりも輸送力を重視せざる得なくなり、沿線開発の進展に伴って新駅も次々と建設され
現在の東急田園都市線のような姿になっていたかもしれないな。

48 :回想774列車:2010/04/16(金) 21:34:08 ID:Mxw74ImX
帝国海軍の霞ヶ浦飛行場か谷田部飛行場の専用線があったら・・・。

49 :回想774列車:2010/04/21(水) 05:58:46 ID:zcYuEVqG
 茨城で鉄道を引く際に頭が痛いのはやっぱり柿岡の磁気観測所だな。
 35キロ半径で円を書くと茨城県の県西と県南が殆どすっぽり入っちまう。


50 :八島NHK学園高校:2010/04/22(木) 14:36:30 ID:8ZR56kdA
NHK学園高校の岐南工業の八島は恩師だ
何回も手紙を送ってくれてありがとう!!!!!!!!!!!!!

51 :回想774列車:2010/04/26(月) 04:08:53 ID:hWQ8XUph
複線架空線式で直流電化してたりしてな。
ダブルポールでGO!

52 :回想774列車:2010/04/29(木) 00:05:23 ID:uopTPyzs
地声のうるせえ茨城モンが東京大進出して、都民は耳鼻科に通う羽目になっただろうなw

53 :回想774列車:2010/04/29(木) 11:30:10 ID:4KOmzCT1
琵琶湖周航の歌の代わりに霞ヶ浦周航の歌ができていて、鹿島参宮鉄道が
江若鉄道のようになっていたらいいな。

54 :回想774列車:2010/04/30(金) 08:01:27 ID:131sTZhA
WHの技術で25Hz 6600Vで電化とか…。

無理か

55 :回想774列車:2010/06/03(木) 23:57:13 ID:v+kbRLkh
茨城県人は声がデカイ。
所謂ドラ声だ。
戦前から、そんな茨城県人か沢山東京に出てきたならば、
日本は世界に通用するワールドワイドな耳栓の開発に成功していたかも知れない。
残念な話ではある。

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